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『パラダイス・ナウ』を見て

チェックポイントを抜け、山道を車で走ると、麓の方に山々に囲まれた町が見えてきた。ナブルスだ。ローマ時代に築かれ、十字軍が長らく占領していたこの町は、白い壁の家々が山の斜面にひしめきあっている。オリーブの緑と白い家、そしてタクシーの黄色。パレスチナのどの町よりも美しい。しかし、この美しい町には悲しい現実が隠されている。

ナブルスの景色を見ただけで、悲しさがあふれてきた。とめどなく流れる感情を止めることができなくなって、ビデオを止めた。そして、心の中に急拵えで作った戸棚に感情を閉まい込んでから、もう一度見始めた。そうでなければ、涙を止めることができなかった。パレスチナの景色を見ただけで、人々の顔が浮かんでくる。その奥底に隠された苦痛と悲しみが見えてくる。

生まれた場所に国がないとしたら、生まれたときから死ぬ時まで占領しかないとしたら、人はどうやって希望を見出すのだろう。自爆を決意した主人公の不幸、不正義、不公平を物語るその言葉ひとつひとつに、占領下に暮らすパレスチナ人の苦しみが凝縮されている。そして、そのすべてを語り終えた主人公は、イスラエルのバスで自らを爆破する。主人公は言う、『死の前では全ての人間は公平になれるんだ。』他に選択肢があるというのなら、なぜ人はすべてを理解したうえで、自爆を選ぶのか。一人の人間が自分にも何かできることがあると信じる。それが、自爆だというだけではないだろうか。自爆なんてしたところで何も変わらないし、イスラエルの報復を招くだけだと分かっていても、それがどんな意味を持つのか。選ぶ権利を持つことを許されない人々が、自分の運命を選べる唯一の方法が自爆だとしたら、あなたはそれを否定できるだろうか。死の先にしか希望を見出せない町ナブルスの悲劇が見えるだろうか。


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アリエル・シャロン-分離壁建設とロードマップ推進に潜む意図 

イスラエルの元首相、アリエル・シャロンの歴史は戦争と殺戮の歴史である。一九五三年、シャロンに率いられた一〇一部隊はキビヤ村のパレスチナ人を家屋もろとも爆破し六七人を殺害した。その後、シャロンは一九六七年から七十年にかけて行われたパレスチナ戦闘員の掃討作戦を南部戦線司令官として指揮し、千人を越えるパレスチナ人を殺害した。レバノン人とパレスチナ人約二万人が殺された1982年のレバノン侵攻の決定にも、当時国防相だったシャロンは内閣の中心人物として深く関わっていた。さらに、レバノンのサブラ・シャティーラ難民キャンプでのパレスチナ人の虐殺事件でもシャロンの責任が追求された。

シャロンは戦争犯罪人としてだけでなく、国際法で違法とされている占領地における入植地建設の推進者としても有名である。西岸地区とガザ地区を含めたパレスチナ全体をイスラエルの領土とすることを目指すシャロンの大イスラエル主義者としての華々しいキャリアは一九六七年の第三次中東戦争後に始まった。戦後、軍事教練基地の総司令官に任命されたシャロンは教練基地全体を西岸地区へ移転する命令を出し、占領地全体に入植に必要なインフラを作り出すことに成功した。  一九七七年、大イスラエル主義を掲げる右翼政党の流れを汲むリクード党がメナヘム・ベギン党首のもと政権を取った。この初のリクード政権において、シャロンは農業相と国有地およびユダヤ民族基金などのシオニスト機関が所有する土地を管理するイスラエル土地機関の長官に任命された。これによって、シャロンはイスラエルがパレスチナ人から没収し国有地として宣言した占領地の土地を管理する権限を与えられた。任命後まもなく、シャロンは東エルサレムを含む西岸地区の占領地に二十年間で百万人のイスラエル・ユダヤ人を入植させる計画を発表した。この入植政策によって、一九七七年からシャロンが国防相になる八一年までの間に東エルサレムを除く西岸地区の入植地の数は三一ヶ所から六八ヶ所へと約二、二倍増え、イスラエル・ユダヤ人入植者数は四、四〇〇人から一六、二〇〇人へと約三、七倍増えた。  東エルサレムにおけるイスラエル・ユダヤ人の人口は一九七七年の三三、〇〇〇人から八一年には五九、〇〇〇人へと約一、八倍増加した。  その後も、一九九〇年から九二年までは住宅建設相として、九六年から九八年までは国家インフラストラクチャー相として、シャロンは西岸地区とガザ地区のイスラエル・ユダヤ人入植地の住宅建設やインフラ整備を指揮・監督する立場にあった。首相に任命された二〇〇一年二月以降も、シャロンは占領地において入植地建設の凍結を和平協定の第一段階として要求するロードマップの内容を無視して入植地建設と入植者の占領地への移住を様々な形で支援した。

以上のように、シャロンは入植地拡大と入植者の移住促進によってパレスチナにおけるイスラエルの支配権の拡大を試みてみてきた。シャロンは、首相としてアウトポストと呼ばれる小さな入植地のいくつかの撤収を命令したが、それは『和平プロセス』への関与を示し、占領地の主要な入植地の拡大と入植者の増加に対する批判の目をそらすためであったと考えるのが妥当である。なぜなら、イスラエル政府はアウトポストを違法としつつも、それら入植地への道路・電気・水道等のインフラ整備を進め、撤収されたアウトポストでさえ西岸地区の違う場所に移動しただけのことが多かったからである。しかし、シャロンは一九四八年の国境線の東西両側の土地をイスラエルの歴史的領土とみなし、そこでのイスラエルの主権の確立を目指す大イスラエル主義に基づく政策を実行する一方で、分離壁(イスラエル政府は防護壁と呼ぶ)の建設を始めた。なぜシャロンは大イスラエル主義とは一見矛盾する分離壁の建設を進めているのだろうか。そして自らの属するリクード党内および政治的に蜜月関係にあった宗教・世俗右派の反対にも関わらず、ガザ地区から一方的に撤退することを決定し、入植地建設の凍結を要求するロードマップを認める姿勢を示したのだろうか。

それを理解するにはシャロンの政治遍歴を理解する必要がある。まず、彼は純粋なイスラエル右派ではない。もちろん、リクード党は大イスラエル主義を掲げる右派大衆政党である。しかし、シャロンはそれ以前に労働党政権下でアドバイサーを務め、一度ならずと労働党に移ろうとしたことがあった現実派の政治家だった。彼にとって大イスラエル主義がどれほどの価値を持っているかは分からないが、彼が世俗シオニストの急先鋒であり続けたことは確かである。ユダヤ教でイスラエルの地(エレツ・イスラエル)と呼ばれる歴史的パレスチナ全土を欲するのはなにも右派だけではない。左派と呼ばれる労働党もリクード党とイデオロギーを共有している。つまり、両者はユダヤ人が多数派を占めるユダヤ人国家をイスラエルの地に建設するというシオニズムのイデオロギーで結ばれているのである。イスラエルの独立宣言にもこの目標は明確に謳われている。では、イスラエルの地とはどこを指すのか。それは一九四八年に引かれた軍事境界線、通称グリーンライン内の領土を指すわけではない。英国による委任統治開始以来、イスラエルの地は、通常ヨルダン川の西側から地中海までの地域を指す。そして、現実政治に照らし合わせて、その時に最大限得られるものは得ておこうというのがシオニスト主流派の立場だ。だから、一九六七年の第三次中東戦争で新たな領土を手に入れると、労働党政権はゴラン高原と東エルサレムを併合して入植地建設を進める一方で、パレスチナ人のほとんど住んでいないヨルダン渓谷での入植地建設を進めた。しかし、シオニズムの目標はイスラエルの地にユダヤ人国家を建設するというだけの単純なものでもない。シオニストは、イギリスがイギリス人の国であるように、ユダヤ人のための『普通の』国家を建設しようと願ったのである。では普通の国家とはなんであろうか。普通の国家とは①明確な国境線に囲まれた領土を持ち、②その領土に規定され、その領土内で生まれた者が国民と定義され、義務と共に国籍を付与され、③その国民の安全を保障する組織である。だから、ヨルダン渓谷での入植地建設は国民の安全を保障するという普通の国家としての機能から重要視され、そして正当化された。

しかし、イスラエルはシオニズムの目標のため、普通の国にはなれていない。それは①明確な国境線を持たない、②ユダヤ人国家であるイスラエルは普通の国家とは違い、『民族』という曖昧な概念によって『ユダヤ人』と定義された人々の国になることを目標とし、③その国民だけでなく世界中の『ユダヤ人』のための避難所となる、という目標を持っているからである。

これらシオニズムのイデオロギーを理解することで、シャロンの分離壁建設、ガザからの撤退、ロードマップへの友好的な姿勢を容易に理解することができる。彼の行動に矛盾は見られない。矛盾があるとするとそれはシオニズム自体であろう。つまり、西岸地区とガザ地区をイスラエルに併合することが、シオニズムの目標である。しかし、占領地を併合することはそこの住人、つまりパレスチナ人をもイスラエルに組み込むことを意味する。パレスチナ(ここでは一九四八年軍事境界線内の領土、西岸地区、ガザ地区を含む地域を指す)に住むパレスチナ人人口がユダヤ人人口と拮抗する現在、占領地の併合はイスラエルがユダヤ人多数派を維持するユダヤ人国家であるという根本を脅かす。これは、一九六七年以降労働党政権の悩みの種であった。だから、労働党は苦肉の策としてアロン計画や、入植地建設によって占領地内の最大限の領土を確保する一方で、占領地のパレスチナ人に領土の一部における自治権を与えるというオスロ合意を考え出した。労働シオニズムからも影響を受けているシャロンは、その労働党の解決策を『鉄の壁』という修正シオニズムの解決策と融合させ、分離壁建設を考え出した。分離壁は、イスラエルが明確な国境線とそれに囲まれた領土を持ち、その領土内でユダヤ人多数派を維持し、さらにパレスチナ人の攻撃を防いでユダヤ人の安全を保障することを可能にするという一石三鳥の解決策なのだ。

また、世界のユダヤ人のための国家として作られたイスラエルのイデオロギー維持のため、そして国内でのユダヤ人多数派を維持するため、世界中のユダヤ人がイスラエルに移住する必要がある。移民を奨励し、それらの移民を吸収するためには国家安全保障だけでなく経済発展が重要である。そのためには、西岸地区の土地と水資源が不可欠である。しかし、イスラエルは長年に渡り、国際社会から占領地からの撤退と入植地の撤収を要求されてきた。イスラエルをヨーロッパの一部として西欧の『先進的な』考えを信奉する国家として建設することを目指したシオニストたちにとって、イスラエルが人種差別国家と見なされることは避けなければならない。また、英国のちには米国からの物質的・政治的な支援に頼ってきたイスラエルにとって、外部の正当性を失うことは自己の存在を危機に陥れることにもなりかねない。シャロンは、分離壁建設によって、国際社会からの圧力の中で占領地の土地と水資源を確保する必要に迫られていたイスラエルにひとつの解決策を与えたのである。他にも分離壁建設の理由は挙げられる。
  
 第一に、エルサレムやテル・アビブまで短時間で通勤・通学でき、減税や住宅手当などによって一九四八年軍事境界線内より安く生活できる占領地の入植地は一般のイスラエル人にとって魅力的である。しかし、経済的動機で入植するこれらのイスラエル・ユダヤ人は、彼らの安全が保障されている限りにおいて、占領地への移住を考慮する。しかし、インティファーダ開始以後のパレスチナ人との戦争状態によって、シャロンの進めてきた入植計画は達成にはまだほど遠い。だから、占領地内の主要な入植地をイスラエル国境内に完全に組み込み、それら入植地の安全を保障するために分離壁の建設は必要なのである。

 第二に、建国直後のような農業発展に頼る時代は終わり、工業とサービス産業に依存する現在のイスラエル経済にとって、外国との貿易と外国からの投資の重要性が増している。しかし、戦争状態が続く限り外国資本を呼び込むことは難しいし、中東地域の周辺国との貿易を拡大することもできない。だから、イスラエルと交渉する用意のあるパレスチナ人の一部と和平を結び、ガザ地区と西岸地区の一部に分離壁で囲まれた巨大収容所のようなパレスチナ国家を建設することで戦争を表面上だけでも終結させることが、イスラエルの経済発展にとっては重要なのである。シモン・ペレスがシャロンの結成した政党カディマに参加したのは、シャロンの政策がペレスの目指した中東地域の自由貿易圏の形成のための和平という考えと矛盾しないからであろう。

第三に、宗教的理由で占領地に入植する宗教シオニストの存在が挙げられる。世俗シオニストにとってこれら宗教シオニストの存在は領土拡張と占領地での主権確立の面で便利である一方、経済・政治・社会的負担が大きい厄介な存在でもある。パレスチナ人密集地帯に建設された宗教シオニストの入植地を守るためにイスラエルは多くの兵士と軍事費を投入している。また、インティファーダ開始後、一八〇万人のパレスチナ人が住むガザ地区において八、二〇〇人の宗教入植者を守るために費やされた経済コストは軍事費だけではない。パレスチナ人武装組織によるカッサムロケットの発射によってガザ地区周辺のイスラエルの都市は何度も麻痺した。さらに、シオニスト国家イスラエルは本来世俗国家として建設された。しかし、第三次中東戦争で、ユダヤ教徒が太古のユダヤ人国家の中心地と信じるユダ・サマリア地方をイスラエルが手に入れると、イスラエル国内の一部の宗教層はイスラエルの勝利を神の意思であり、イスラエル国家は神の命令を実行する神聖な義務を担っていると考えた。彼らはイスラエルの地全体がユダヤ人の手に落ち、そこにユダヤ法ハラハーに基づく宗教国家が建設された時、救世主が現れて世界の人々を救うと信じた。だから、宗教シオニストにとって占領地全体を完全な支配下に入れることがイスラエルとユダヤ人の義務なのである。彼らにとっては、神からイスラエルの民に与えられた土地をユダヤ人以外の民族に手渡すことなど許されない。だから、土地を敵に渡すことにしたイツハク・ラビン首相の暗殺は宗教シオニストからは当然とみなされた。ラビン首相の暗殺はイスラエルの正統派ユダヤ教徒の入植者団体グッシュ・エムニムで重要な地位を占めるラビたちによって正当化されたのである。これら宗教入植者とその支持者は、パレスチナ人の存在を否定し、アラブ人がユダヤ人の土地を盗んで一時的に住んでいるだけだと主張する。当然の結論として、強制移住が選択肢に挙がってくる。現在のシャロン政権の中にもこの選択肢に賛成する世俗シオニストが存在している。しかし、ポストコロニアルな時代において強制移住は国際社会の猛反発を受けるのは明らかである。宗教シオニストがイスラエルを神聖な使命を与えられた特別な国と考えるのと違い、世俗シオニストは国際社会、特に欧米諸国から『普通の国』としてイスラエルが認められることを目標にしてきた。だから、パレスチナ人の経済・文化・社会を破壊し、日々の生活を苦痛に満ちたものにして自発的な移住を促すことはできても、あからさまな強制移住は実行できない。さらに、宗教シオニストのイスラエルの地に宗教国家を建設するという目標は、政府を中心とする世俗国家建設を目指す世俗シオニストの目標とは相容れない。また、神から与えられた使命を信じる宗教シオニストの入植者にとって、彼らの過激な行動がイスラエルに与える経済的・政治的悪影響は、彼らの最終目標に比べれば一時的なものでしかない。世俗シオニストにとって、宗教シオニストのこのような考えは現実の政治とは矛盾するし、宗教をアイデンティティーの拠り所にするイスラエル・ユダヤ人の増加とともに影響力を増してきた宗教シオニストは、世俗国家イスラエルのアイデンティティーに脅威を与える存在に映る。だから、物理的にイスラエルの地に国境線を引くことで宗教シオニストのイデオロギーにブレーキをかけ、彼らの政策への影響力を押さえ込むことが、分離壁建設の本当の狙いなのではないかと考えられるのである。

いまだ答えられていない最大の疑問は、シャロンの分離壁建設による強制的な国境線画定、ガザ地区のからの一方的な撤退、そしてロードマップへの好意的な態度が、イスラエルの地でのユダヤ人国家建設というシオニズムのイデオロギーに終止符を打つことを意味するかどうかである。おそらく答えはノーである。シャロンは米国のブッシュ大統領から米国政府はイスラエルが西岸地区および東エルサレムの主要な入植地を確保することを認めるという確約をもらってから、ガザ地区の入植地を撤収を開始した。さらに、ガザ地区の入植者が西岸地区の入植地へと移住することを妨げる法律もない。イスラエルの観光業が次第に回復し、海外からの投資が増える一方で、フェンスに囲まれたガザ地区の海と空はイスラエルの軍事支配下にあり、テロリスト掃討という名目でイスラエルはガザ北部に砲撃や空爆を行っている。それはまるで、これまでガザ地区内で行っていたパレスチナ人に対する攻撃や嫌がらせを、より安全で安価な方法で行っているだけかのようである。また、分離壁が現在計画中のルートで建設されるかどうかは疑わしいが、計画通りのルートで建設されるとしてもその外側の入植地が撤収される可能性は低いであろう。分離壁の外側にはこれまで通り、イデオロギー武装した宗教シオニストたちが『違法に』アウトポストを建設し、それをユダヤ民族基金等のシオニスト機関とアメリカのキリスト教原理主義組織が援助し続けると推測される。さらには、そのユダヤ人入植者保護を名目にイスラエル軍は非武装国家であるパレスチナ国家に軍事干渉を続けるかもしれない。その一方で、分離壁によって明確な国境線を持ち(おそらく最終的な国境になるとは宣言しないだろうが)普通の国家という体裁を整えたイスラエルは、パレスチナ自治政府と平和に共存しているというメッセージを世界中に送ることになる。しかし一方で、イスラエル国家を認めないパレスチナ人組織や細切れの収容所のようなパレスチナ国家に反対するパレスチナ人勢力は、分離壁で分離された『国家』ではなく、陸続きの領土を持った真の国家を作り上げるためにイスラエルと闘い続けるだろう。しかし、パレスチナ国家が名目上でも創設された後では、イスラエルはパレスチナ人の民族闘争を占領下での住民蜂起ではなく国家間紛争と主張することができるので、パレスチナ人への攻撃は安全保障の面から正当化しやすいものとなる。現在も続くガザ地区に対するイスラエルの攻撃と同じように。

 シオニストのイスラエルの地にユダヤ人国家を建設するという目標が保持され続ける限り、パレスチナ人とユダヤ人の戦争は終わらない。なぜなら、パレスチナ人が存在する限り、シオニストは真のユダヤ人国家を建設できないからだ。さらには、パレスチナ人のアイデンティティーはパレスチナの地そのものに根付いたものであり、彼らから土地を奪うことは彼らの存在を消し去ることを意味する。それは人間の存在という根源に関わることであり、パレスチナ人の抵抗が止むことはないだろう。政治面から見ても、多くのパレスチナ人はオスロ合意を完全な失敗とみなしており、オスロ合意の焼き直しであるロードマップを受け入れないだろう。なによりも、パレスチナ人の闘争のエッセンスは、パレスチナの土地とそこへの帰還である。その両方を奪い去るようなシオニズムの原理が生き続ける限り、イスラエル・ユダヤ人とパレスチナ人のどちらか一方がパレスチナの地を諦めない限り、この戦争は終わらない。和平ムードの影で、今まさにパレスチナ人の新しい世代とイスラエルの地で生まれた新しいユダヤ人世代の間で新たな戦争が始まろうとしている。●(2006年1月13日)


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外国人と呼ばれる人々

昨晩、ロンドン時代の友人16人ほどで集まって酒盛りをした。
広島から来ていた友人をもてなすためだ。
そのうち外国人はイギリス人4人、イタリア人一人、中国人一人だった。

日本語、英語、中国語が行き交う中で
冗談を言い合って、叫びあって、
楽しいひと時を過ごした。

人間性は、言葉の違いを越えて分かる部分が多い。
言葉は結局、友情を深めるための手段でしかないのだと思う。


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靖国神社訪問 [国内政治]

靖国神社に初めて行った。
靖国神社の議論がここかしこで行われているが、
実際に行ってみなければ議論に参加する資格はない!と
一人ゴチたからである。

鎮魂舎の前で立ち尽くした。
俺は祈れなかった。
戦争で亡くなった人々に祈りたかった。
彼らが『お国のために死んだ』からではない。
彼らが戦争で死んだからだ。

戦争は常に誰かが起こすのではないか。
そしてそのひとたちが靖国神社には祀られているのではないか。

祈りたいのに祈れなかったことが悲しかった。

戦争責任についての議論は無数にある。
しかし、世代交代が進む中で、
押し付けではなく、日本人が自ら判断をくだす時期がきたのだと思う。

どうして太平洋戦争(大東亜戦争)が起こったのか。
誰かに戦争が起こったことに対する責任があるのか。
あるとしたら誰か。
韓国人、台湾人、満州人、インドネシア人、フィリピン人、ビルマ人を
靖国神社に祀ることが、はたして彼らの魂を鎮めることになるのか。
自分は誰に祈りたいのか。そして誰に祈りたくないのか。

日本が成長するということは、そんなことが話せる国になることだと思う。



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小泉首相が靖国神社を参拝した理由・・・それは国防の強化 [国内政治]

 今年10月17日、小泉首相が靖国神社に参拝した。中国、韓国など東アジア各国の非難を受け、対中、対韓、対朝関係が悪化することは訪問前から経験的に明らかだった。それでも首相は参拝を決行した。それはなぜだろうか。

 この仮説は、参拝後に対中関係、対韓関係が悪化することを小泉首相が予想していたという前提にもとづく。もし予想していなかったとしたら、ただの無能な政治家である。

 小泉首相の靖国神社参拝の理由、それは中国の経済大国、軍事大国としての台頭、北朝鮮からの脅威、そしてこれらの脅威に対して日本がすべきことは何かである。

 経済成長と共に軍事力が強化され、東アジアの覇権を狙う意思を内外に表明している中国と、核兵器を保有しているという疑惑がある北朝鮮は、日本にとって最大の脅威である。少なくとも日本政府中枢は『脅威』が存在すると考えている。そこで政府が取る国策は、日本の国防強化である。国防強化は、日米同盟強化、国民統合の強化、正式な軍隊の保有、紛争の防止策としての海外派兵、最高指揮官である首相の権限強化を通して可能となる。日米同盟強化は、中東地域の石油資源確保のためにも重要である。小泉首相が、日米同盟強化と海外派兵のための法整備を望んでいることは、イラク派兵をみても明らかである。しかし、軍隊保有・海外派兵を可能にするような憲法改正と日米同盟強化は、国会と国民から強い反対に遭うことは明らかである。反対を押さえ込み、国防強化のためのこれらの方法の実現のためには、日本人の危機感を煽りナショナリズムを高揚させる必要があると小泉首相は考えた。

 そこで靖国神社は重要な役割を果たす。靖国神社参拝それ自体は目的ではなく、あくまで手段である。首相の靖国神社参拝は、戦死者の遺族や戦争を体験した世代を国家に結びつけ、さらに中国、韓国、北朝鮮国民の反日感情を高め、これらの政府の日本に対する態度の硬化をもたらす。これらの国での反日感情悪化と外交関係は、日本国民を危機感を与え、国防強化の必要性を賛同するか、しないにしても否定できない状況ができる。さらに、反対を押し切って公約通りに参拝した首相の態度は『他国の反発に負けない強い首相』、あるいは『強い日本』というイメージを国民に植え付ける。『敵対心を抱く敵国VS負けない日本』のイメージは、日本国民の『日本人』意識を強める。日本のナショナリズム高揚は東アジア諸国の対日感情をさらに刺激し、対中・対韓・対朝関係はさらに悪化する。このスパイラルの中で、小泉首相の進める国防強化の国策は正当化される。

 そして、東アジア諸国からの脅威に対抗するために日本が頼れるのはただ一国、アメリカだけである。小泉首相の参拝直後、アメリカが日中・日韓関係修復のため動き出した。そのタイミングの良さは、靖国神社参拝は実は日米両政府の計画なのでは・・・という疑問を抱かざるを得なかった。アメリカが日中・日韓関係の修復に動き出したと知った日本人がアメリカに抱くイメージは何か。それは『頼れるアメリカ』『同盟国として責任を果たすアメリカ』というプラスイメージではないだろうか。対米感情の悪化する日本において、そのようなプラスの対米イメージは日米同盟強化に必要不可欠である。アメリカの干渉が日米政府の間で事前に計画されていたとしたら、小泉首相は恐ろしいほどの確信犯である。干渉が計画されていなかったとしても、小泉首相は対中・対韓・対朝関係が悪化しすぎた場合にはアメリカが関係修復に動き、日米同盟強化にプラスに働くだろうと予想していた可能性が強い。

 小泉首相の東アジアでの対中・対韓・対朝外交は危険である。反日感情を利用して日本の軍国化を進める小泉首相の政策は、無用に周辺諸国との関係を悪化させ、戦争を招くだけである。『戦争は勝たねばならない』という論理だけが先行し、『戦争をしてはならない』という教訓を忘れたとき、戦争は起こる。そして戦争はつねに『国防』によって正当化される。戦争世代から戦争を知らない世代へと世代交代が進む中、日本のナショナリズム高揚は『誇り』を取り戻すというような単純なものではない。
 
 現在の状況の中で日本に残されている選択は、①これまで通りにアメリカの軍事・核に依存、②アメリカからの自立を目指して、中韓朝に対抗できるだけの軍事力を確保し、憲法とその他の法を全面改正して自衛のための周辺諸国への派兵と先制攻撃を可能にする、③軍隊は保持するが、平和活動を含めたすべての海外派兵は禁止し、永世中立国家として中国とアメリカの力のせめぎ合いの間で外交を行う、の3つである。①は、平和憲法と国防の間にある矛盾の当面の解決にはなるが、日本の外交的自立などはもってのほかで、今後激化するであろう米中の覇権争いに巻き込まれる危険性がある。②中韓朝に対抗できるだけの軍事力の保持は経済負担増大を引き起こし、軍部の発言力の増加と軍国化の危険をはらむ。③では、平和への願いと国防は矛盾しない。先制攻撃に弱くなるので、抑止力として核兵器保持を考慮すべきであろう。また、この選択肢を可能にするには敏腕な外交能力を身につけた外交官僚・政治家育成と、正確な情報を提供する情報機関設立が急務である。


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