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アリエル・シャロン-分離壁建設とロードマップ推進に潜む意図 

イスラエルの元首相、アリエル・シャロンの歴史は戦争と殺戮の歴史である。一九五三年、シャロンに率いられた一〇一部隊はキビヤ村のパレスチナ人を家屋もろとも爆破し六七人を殺害した。その後、シャロンは一九六七年から七十年にかけて行われたパレスチナ戦闘員の掃討作戦を南部戦線司令官として指揮し、千人を越えるパレスチナ人を殺害した。レバノン人とパレスチナ人約二万人が殺された1982年のレバノン侵攻の決定にも、当時国防相だったシャロンは内閣の中心人物として深く関わっていた。さらに、レバノンのサブラ・シャティーラ難民キャンプでのパレスチナ人の虐殺事件でもシャロンの責任が追求された。

シャロンは戦争犯罪人としてだけでなく、国際法で違法とされている占領地における入植地建設の推進者としても有名である。西岸地区とガザ地区を含めたパレスチナ全体をイスラエルの領土とすることを目指すシャロンの大イスラエル主義者としての華々しいキャリアは一九六七年の第三次中東戦争後に始まった。戦後、軍事教練基地の総司令官に任命されたシャロンは教練基地全体を西岸地区へ移転する命令を出し、占領地全体に入植に必要なインフラを作り出すことに成功した。  一九七七年、大イスラエル主義を掲げる右翼政党の流れを汲むリクード党がメナヘム・ベギン党首のもと政権を取った。この初のリクード政権において、シャロンは農業相と国有地およびユダヤ民族基金などのシオニスト機関が所有する土地を管理するイスラエル土地機関の長官に任命された。これによって、シャロンはイスラエルがパレスチナ人から没収し国有地として宣言した占領地の土地を管理する権限を与えられた。任命後まもなく、シャロンは東エルサレムを含む西岸地区の占領地に二十年間で百万人のイスラエル・ユダヤ人を入植させる計画を発表した。この入植政策によって、一九七七年からシャロンが国防相になる八一年までの間に東エルサレムを除く西岸地区の入植地の数は三一ヶ所から六八ヶ所へと約二、二倍増え、イスラエル・ユダヤ人入植者数は四、四〇〇人から一六、二〇〇人へと約三、七倍増えた。  東エルサレムにおけるイスラエル・ユダヤ人の人口は一九七七年の三三、〇〇〇人から八一年には五九、〇〇〇人へと約一、八倍増加した。  その後も、一九九〇年から九二年までは住宅建設相として、九六年から九八年までは国家インフラストラクチャー相として、シャロンは西岸地区とガザ地区のイスラエル・ユダヤ人入植地の住宅建設やインフラ整備を指揮・監督する立場にあった。首相に任命された二〇〇一年二月以降も、シャロンは占領地において入植地建設の凍結を和平協定の第一段階として要求するロードマップの内容を無視して入植地建設と入植者の占領地への移住を様々な形で支援した。

以上のように、シャロンは入植地拡大と入植者の移住促進によってパレスチナにおけるイスラエルの支配権の拡大を試みてみてきた。シャロンは、首相としてアウトポストと呼ばれる小さな入植地のいくつかの撤収を命令したが、それは『和平プロセス』への関与を示し、占領地の主要な入植地の拡大と入植者の増加に対する批判の目をそらすためであったと考えるのが妥当である。なぜなら、イスラエル政府はアウトポストを違法としつつも、それら入植地への道路・電気・水道等のインフラ整備を進め、撤収されたアウトポストでさえ西岸地区の違う場所に移動しただけのことが多かったからである。しかし、シャロンは一九四八年の国境線の東西両側の土地をイスラエルの歴史的領土とみなし、そこでのイスラエルの主権の確立を目指す大イスラエル主義に基づく政策を実行する一方で、分離壁(イスラエル政府は防護壁と呼ぶ)の建設を始めた。なぜシャロンは大イスラエル主義とは一見矛盾する分離壁の建設を進めているのだろうか。そして自らの属するリクード党内および政治的に蜜月関係にあった宗教・世俗右派の反対にも関わらず、ガザ地区から一方的に撤退することを決定し、入植地建設の凍結を要求するロードマップを認める姿勢を示したのだろうか。

それを理解するにはシャロンの政治遍歴を理解する必要がある。まず、彼は純粋なイスラエル右派ではない。もちろん、リクード党は大イスラエル主義を掲げる右派大衆政党である。しかし、シャロンはそれ以前に労働党政権下でアドバイサーを務め、一度ならずと労働党に移ろうとしたことがあった現実派の政治家だった。彼にとって大イスラエル主義がどれほどの価値を持っているかは分からないが、彼が世俗シオニストの急先鋒であり続けたことは確かである。ユダヤ教でイスラエルの地(エレツ・イスラエル)と呼ばれる歴史的パレスチナ全土を欲するのはなにも右派だけではない。左派と呼ばれる労働党もリクード党とイデオロギーを共有している。つまり、両者はユダヤ人が多数派を占めるユダヤ人国家をイスラエルの地に建設するというシオニズムのイデオロギーで結ばれているのである。イスラエルの独立宣言にもこの目標は明確に謳われている。では、イスラエルの地とはどこを指すのか。それは一九四八年に引かれた軍事境界線、通称グリーンライン内の領土を指すわけではない。英国による委任統治開始以来、イスラエルの地は、通常ヨルダン川の西側から地中海までの地域を指す。そして、現実政治に照らし合わせて、その時に最大限得られるものは得ておこうというのがシオニスト主流派の立場だ。だから、一九六七年の第三次中東戦争で新たな領土を手に入れると、労働党政権はゴラン高原と東エルサレムを併合して入植地建設を進める一方で、パレスチナ人のほとんど住んでいないヨルダン渓谷での入植地建設を進めた。しかし、シオニズムの目標はイスラエルの地にユダヤ人国家を建設するというだけの単純なものでもない。シオニストは、イギリスがイギリス人の国であるように、ユダヤ人のための『普通の』国家を建設しようと願ったのである。では普通の国家とはなんであろうか。普通の国家とは①明確な国境線に囲まれた領土を持ち、②その領土に規定され、その領土内で生まれた者が国民と定義され、義務と共に国籍を付与され、③その国民の安全を保障する組織である。だから、ヨルダン渓谷での入植地建設は国民の安全を保障するという普通の国家としての機能から重要視され、そして正当化された。

しかし、イスラエルはシオニズムの目標のため、普通の国にはなれていない。それは①明確な国境線を持たない、②ユダヤ人国家であるイスラエルは普通の国家とは違い、『民族』という曖昧な概念によって『ユダヤ人』と定義された人々の国になることを目標とし、③その国民だけでなく世界中の『ユダヤ人』のための避難所となる、という目標を持っているからである。

これらシオニズムのイデオロギーを理解することで、シャロンの分離壁建設、ガザからの撤退、ロードマップへの友好的な姿勢を容易に理解することができる。彼の行動に矛盾は見られない。矛盾があるとするとそれはシオニズム自体であろう。つまり、西岸地区とガザ地区をイスラエルに併合することが、シオニズムの目標である。しかし、占領地を併合することはそこの住人、つまりパレスチナ人をもイスラエルに組み込むことを意味する。パレスチナ(ここでは一九四八年軍事境界線内の領土、西岸地区、ガザ地区を含む地域を指す)に住むパレスチナ人人口がユダヤ人人口と拮抗する現在、占領地の併合はイスラエルがユダヤ人多数派を維持するユダヤ人国家であるという根本を脅かす。これは、一九六七年以降労働党政権の悩みの種であった。だから、労働党は苦肉の策としてアロン計画や、入植地建設によって占領地内の最大限の領土を確保する一方で、占領地のパレスチナ人に領土の一部における自治権を与えるというオスロ合意を考え出した。労働シオニズムからも影響を受けているシャロンは、その労働党の解決策を『鉄の壁』という修正シオニズムの解決策と融合させ、分離壁建設を考え出した。分離壁は、イスラエルが明確な国境線とそれに囲まれた領土を持ち、その領土内でユダヤ人多数派を維持し、さらにパレスチナ人の攻撃を防いでユダヤ人の安全を保障することを可能にするという一石三鳥の解決策なのだ。

また、世界のユダヤ人のための国家として作られたイスラエルのイデオロギー維持のため、そして国内でのユダヤ人多数派を維持するため、世界中のユダヤ人がイスラエルに移住する必要がある。移民を奨励し、それらの移民を吸収するためには国家安全保障だけでなく経済発展が重要である。そのためには、西岸地区の土地と水資源が不可欠である。しかし、イスラエルは長年に渡り、国際社会から占領地からの撤退と入植地の撤収を要求されてきた。イスラエルをヨーロッパの一部として西欧の『先進的な』考えを信奉する国家として建設することを目指したシオニストたちにとって、イスラエルが人種差別国家と見なされることは避けなければならない。また、英国のちには米国からの物質的・政治的な支援に頼ってきたイスラエルにとって、外部の正当性を失うことは自己の存在を危機に陥れることにもなりかねない。シャロンは、分離壁建設によって、国際社会からの圧力の中で占領地の土地と水資源を確保する必要に迫られていたイスラエルにひとつの解決策を与えたのである。他にも分離壁建設の理由は挙げられる。
  
 第一に、エルサレムやテル・アビブまで短時間で通勤・通学でき、減税や住宅手当などによって一九四八年軍事境界線内より安く生活できる占領地の入植地は一般のイスラエル人にとって魅力的である。しかし、経済的動機で入植するこれらのイスラエル・ユダヤ人は、彼らの安全が保障されている限りにおいて、占領地への移住を考慮する。しかし、インティファーダ開始以後のパレスチナ人との戦争状態によって、シャロンの進めてきた入植計画は達成にはまだほど遠い。だから、占領地内の主要な入植地をイスラエル国境内に完全に組み込み、それら入植地の安全を保障するために分離壁の建設は必要なのである。

 第二に、建国直後のような農業発展に頼る時代は終わり、工業とサービス産業に依存する現在のイスラエル経済にとって、外国との貿易と外国からの投資の重要性が増している。しかし、戦争状態が続く限り外国資本を呼び込むことは難しいし、中東地域の周辺国との貿易を拡大することもできない。だから、イスラエルと交渉する用意のあるパレスチナ人の一部と和平を結び、ガザ地区と西岸地区の一部に分離壁で囲まれた巨大収容所のようなパレスチナ国家を建設することで戦争を表面上だけでも終結させることが、イスラエルの経済発展にとっては重要なのである。シモン・ペレスがシャロンの結成した政党カディマに参加したのは、シャロンの政策がペレスの目指した中東地域の自由貿易圏の形成のための和平という考えと矛盾しないからであろう。

第三に、宗教的理由で占領地に入植する宗教シオニストの存在が挙げられる。世俗シオニストにとってこれら宗教シオニストの存在は領土拡張と占領地での主権確立の面で便利である一方、経済・政治・社会的負担が大きい厄介な存在でもある。パレスチナ人密集地帯に建設された宗教シオニストの入植地を守るためにイスラエルは多くの兵士と軍事費を投入している。また、インティファーダ開始後、一八〇万人のパレスチナ人が住むガザ地区において八、二〇〇人の宗教入植者を守るために費やされた経済コストは軍事費だけではない。パレスチナ人武装組織によるカッサムロケットの発射によってガザ地区周辺のイスラエルの都市は何度も麻痺した。さらに、シオニスト国家イスラエルは本来世俗国家として建設された。しかし、第三次中東戦争で、ユダヤ教徒が太古のユダヤ人国家の中心地と信じるユダ・サマリア地方をイスラエルが手に入れると、イスラエル国内の一部の宗教層はイスラエルの勝利を神の意思であり、イスラエル国家は神の命令を実行する神聖な義務を担っていると考えた。彼らはイスラエルの地全体がユダヤ人の手に落ち、そこにユダヤ法ハラハーに基づく宗教国家が建設された時、救世主が現れて世界の人々を救うと信じた。だから、宗教シオニストにとって占領地全体を完全な支配下に入れることがイスラエルとユダヤ人の義務なのである。彼らにとっては、神からイスラエルの民に与えられた土地をユダヤ人以外の民族に手渡すことなど許されない。だから、土地を敵に渡すことにしたイツハク・ラビン首相の暗殺は宗教シオニストからは当然とみなされた。ラビン首相の暗殺はイスラエルの正統派ユダヤ教徒の入植者団体グッシュ・エムニムで重要な地位を占めるラビたちによって正当化されたのである。これら宗教入植者とその支持者は、パレスチナ人の存在を否定し、アラブ人がユダヤ人の土地を盗んで一時的に住んでいるだけだと主張する。当然の結論として、強制移住が選択肢に挙がってくる。現在のシャロン政権の中にもこの選択肢に賛成する世俗シオニストが存在している。しかし、ポストコロニアルな時代において強制移住は国際社会の猛反発を受けるのは明らかである。宗教シオニストがイスラエルを神聖な使命を与えられた特別な国と考えるのと違い、世俗シオニストは国際社会、特に欧米諸国から『普通の国』としてイスラエルが認められることを目標にしてきた。だから、パレスチナ人の経済・文化・社会を破壊し、日々の生活を苦痛に満ちたものにして自発的な移住を促すことはできても、あからさまな強制移住は実行できない。さらに、宗教シオニストのイスラエルの地に宗教国家を建設するという目標は、政府を中心とする世俗国家建設を目指す世俗シオニストの目標とは相容れない。また、神から与えられた使命を信じる宗教シオニストの入植者にとって、彼らの過激な行動がイスラエルに与える経済的・政治的悪影響は、彼らの最終目標に比べれば一時的なものでしかない。世俗シオニストにとって、宗教シオニストのこのような考えは現実の政治とは矛盾するし、宗教をアイデンティティーの拠り所にするイスラエル・ユダヤ人の増加とともに影響力を増してきた宗教シオニストは、世俗国家イスラエルのアイデンティティーに脅威を与える存在に映る。だから、物理的にイスラエルの地に国境線を引くことで宗教シオニストのイデオロギーにブレーキをかけ、彼らの政策への影響力を押さえ込むことが、分離壁建設の本当の狙いなのではないかと考えられるのである。

いまだ答えられていない最大の疑問は、シャロンの分離壁建設による強制的な国境線画定、ガザ地区のからの一方的な撤退、そしてロードマップへの好意的な態度が、イスラエルの地でのユダヤ人国家建設というシオニズムのイデオロギーに終止符を打つことを意味するかどうかである。おそらく答えはノーである。シャロンは米国のブッシュ大統領から米国政府はイスラエルが西岸地区および東エルサレムの主要な入植地を確保することを認めるという確約をもらってから、ガザ地区の入植地を撤収を開始した。さらに、ガザ地区の入植者が西岸地区の入植地へと移住することを妨げる法律もない。イスラエルの観光業が次第に回復し、海外からの投資が増える一方で、フェンスに囲まれたガザ地区の海と空はイスラエルの軍事支配下にあり、テロリスト掃討という名目でイスラエルはガザ北部に砲撃や空爆を行っている。それはまるで、これまでガザ地区内で行っていたパレスチナ人に対する攻撃や嫌がらせを、より安全で安価な方法で行っているだけかのようである。また、分離壁が現在計画中のルートで建設されるかどうかは疑わしいが、計画通りのルートで建設されるとしてもその外側の入植地が撤収される可能性は低いであろう。分離壁の外側にはこれまで通り、イデオロギー武装した宗教シオニストたちが『違法に』アウトポストを建設し、それをユダヤ民族基金等のシオニスト機関とアメリカのキリスト教原理主義組織が援助し続けると推測される。さらには、そのユダヤ人入植者保護を名目にイスラエル軍は非武装国家であるパレスチナ国家に軍事干渉を続けるかもしれない。その一方で、分離壁によって明確な国境線を持ち(おそらく最終的な国境になるとは宣言しないだろうが)普通の国家という体裁を整えたイスラエルは、パレスチナ自治政府と平和に共存しているというメッセージを世界中に送ることになる。しかし一方で、イスラエル国家を認めないパレスチナ人組織や細切れの収容所のようなパレスチナ国家に反対するパレスチナ人勢力は、分離壁で分離された『国家』ではなく、陸続きの領土を持った真の国家を作り上げるためにイスラエルと闘い続けるだろう。しかし、パレスチナ国家が名目上でも創設された後では、イスラエルはパレスチナ人の民族闘争を占領下での住民蜂起ではなく国家間紛争と主張することができるので、パレスチナ人への攻撃は安全保障の面から正当化しやすいものとなる。現在も続くガザ地区に対するイスラエルの攻撃と同じように。

 シオニストのイスラエルの地にユダヤ人国家を建設するという目標が保持され続ける限り、パレスチナ人とユダヤ人の戦争は終わらない。なぜなら、パレスチナ人が存在する限り、シオニストは真のユダヤ人国家を建設できないからだ。さらには、パレスチナ人のアイデンティティーはパレスチナの地そのものに根付いたものであり、彼らから土地を奪うことは彼らの存在を消し去ることを意味する。それは人間の存在という根源に関わることであり、パレスチナ人の抵抗が止むことはないだろう。政治面から見ても、多くのパレスチナ人はオスロ合意を完全な失敗とみなしており、オスロ合意の焼き直しであるロードマップを受け入れないだろう。なによりも、パレスチナ人の闘争のエッセンスは、パレスチナの土地とそこへの帰還である。その両方を奪い去るようなシオニズムの原理が生き続ける限り、イスラエル・ユダヤ人とパレスチナ人のどちらか一方がパレスチナの地を諦めない限り、この戦争は終わらない。和平ムードの影で、今まさにパレスチナ人の新しい世代とイスラエルの地で生まれた新しいユダヤ人世代の間で新たな戦争が始まろうとしている。●(2006年1月13日)


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